媛媛講故事―14

                         
      梁山伯と祝英台 Ⅱ             何媛媛

 

 

 祝英台が郷里に帰る日、梁山伯は遠方まで祝英台を見送りについて来ました。

 その途中、井戸があるのを見つけた祝英台は井戸中に自分の姿を映すと

 「兄さん、見て、見て。ねえ、井戸の中にとても綺麗な女の子がいるのよ。好きですか?」

 と梁山伯に問いました。祝英台は自分が女の身であることを暗に知らせようと思ったのです。しかし、時に真面目過ぎるほどに真面目な梁山伯は、

 「からかわないで。あれは弟じゃないか」

 と言って、祝英台が女性であるとは全く気がつきませんでした。

 そして終に二人の別離の時が来ると、祝英台は梁山伯に言いました。

 「私には顔も性格も私とそっくりな妹が一人います。ぜひ家に来て会って下さい。そして気に入ったら是非お嫁さんにしてあげてください」

 「あ、ほんとうですか? それでは必ず行きますよ」

 「では、約束しますね」

 「はい、約束します」

 やがて祝英台は故郷の家にたどり着きました。しかし、父が杭州の学問所から彼女を戻らせたのは、実は祝英台をさる高官の息子と結婚させる為でした。祝英台はきっぱりと拒絶し、自分には梁山伯という、思いを寄せる男性がいること、彼の学問が終わって彼女のもとにやって来、求婚してくれるのをどうしても待ちたいと父に話しました。

父は非常に怒り、

 「梁山伯の家は家柄も良くない上にひどい貧乏ではないか。わしのような身分の娘をそんな家の男に嫁がせるわけにはいかん!」

 というと祝英台がどんなに父親を説得しようとしても反抗しても、父の考えは変わりませんでした。

 一方、杭州で勉強を続けている梁山伯も故郷に帰った祝英台を片時も忘れることはなく懐かしく思っていました。そしてやがて彼も学業を終える日を迎えることができると喜び勇んで直ちに祝英台の家に向かいました。梁山伯が祝英台の家にやって来てみますとなんと彼の前に現れた祝英台は美しい妙齢の女性ではありませんか。

 梁山伯は祝英台と一緒に過ごした三年間の出来事の一幕一幕を走馬灯を見るように思い浮かべ、また、かつて祝英台が話した微妙な話しをいろいろ思い出し、やっと祝英台が間違いなく女性だったことを悟りました。

 しかし、梁山伯の驚きや喜びも束の間、祝英台は両目に涙をいっぱい溜めて、父が彼との結婚に反対していることを梁山伯に告げなければなりませんでした。梁山伯はその事実を聞くと辛さのあまり一言も言葉を発することができず口を閉ざしたまま祝家を去って自分の家に戻りました。

 家に帰っても、梁山伯は最愛の人と結婚できないことがあまりにも辛く悲しく終には重い病気になるとあっという間に亡くなってしまいました。

 祝英台は梁山伯の思いも寄らない死の知らせを聞くと、三日三晩激しく泣き明かしました。四日目の朝、彼女は泣くのを止めると父に言いました。

「私の願いを一つだけ承知してください。そうしたら私はその高官の息子と結婚します。結婚の日、私が乗った輿は必ず梁山伯の墓前を通ってお参りさせてください」

 父は渋々ながら高官の息子に娘を嫁がせるためには、娘の願いを許さないわけにはゆきませんでした。

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 婚礼のその日、花嫁の輿が梁山伯を葬った墓地の前にやって来ました。

 祝英台は輿を下りて墓前にぬかずき、悲嘆にくれながら激しく泣きました。すると天空が俄かに暗くなり、強風が渦を巻いてびゅうびゅうと吹き始めました。激しい雨も地面を打ち始め、まるで天を裂くような雷鳴が轟いて大地が揺れると、突然、梁山伯の墓にぽっかりと大きな裂け目ができました。

 祝英台はあっという間に墓の中に吸い込まれるようにその裂け目に飛び込みました。そして墓の裂け目は元のように閉ざされてしまいました。

 やがて強風は吹き止み、激しい雨も降り止んで再び太陽が現れました。見れば墓の周り一面に様々な花々が色どりも豊かに咲き競っていました。

 その美しく優しい風景に誘われたように、一対の色鮮やかな蝶が墓の中から舞い出ると、周囲の花々の上をひらひらと楽しそうにむつまじく飛び交うのでした。

 人々はその仲良く飛び交う一対の蝶に梁山伯と祝英台の二人の姿を重ね合わせ、二人は、きっと別の世界で、誰にも邪魔されず共に幸せに暮らせるようになったのだと信じたのでした。


 写真説明:梁山伯と祝英台の墓
梁山伯の故郷である寧波市鄞州区高橋鎮にある「梁祝文化公園」にある梁山伯と祝英台のお墓。中国には、梁祝のお墓といわれるところはいくつかあるが、ここが最も有力な証拠を保有しているところといわれている。

 尚、浙江省杭州市の西湖の東南に鳳凰山があります。その山に今もある万松書院が、その昔梁山伯と祝英台の二人が勉強したところといわれています。



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